鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

「夕凪の街 桜の国」

先週、映画を観たあと、家に原作があるというので借りて読んでみた。

ああ。

これは素晴らしい漫画だ。そして、それに比べていくつか映画のアラが見えてしまった。

単行本一冊、それも100ページ足らずの薄い本だが、必要な内容が過不足なく詰まっている。全体としてテンポがいい。無駄な描写がないから、訴えたいことが、はっきりとストレートに伝わってくる。映画ではたびたびクサイと思われる場面があったが、漫画ではそのようなモタモタした場面は一切ない。

疎開していた弟を引き取りに行く場面も、一こまだけで、旭君の顔も出てこない。だからこそ、「私が忘れてしまえば済むことだ」と言えるのだ。(でも、忘れたくないし、忘れられないのだが)

打越さんから「生きとってくれてありがとうな」と言われたあと、体調を崩して会社を休み、見舞いに来た打越さんから「お前」呼ばわりされ、起き上がれなくなり、物が食べられなくなり、目が見えなくなり、……と一気に話が進むからこそ、「十年経ったけど、原爆を落とした人は、やった! また一人殺せた、とちゃんと思うてくれとる?」のセリフが胸に突き刺さる。映画では旭君と打越さんが川原で石を投げ立ったりしていたが、少々くどい。

一番気になったのは……

あの日、お前なんか死ねばいい、と誰かに思われ、それ以来本当にそう思われても仕方のない人間に自分がなってしまった……のが、皆実にとって一番恐ろしいことだと言う。映画では打越さんに向かってそう告白し、漫画ではモノローグで語られるが、いずれにしてもここは「夕凪の街」の肝の部分である。

実は映画を観た時は「お前なんか死ねばいい、と誰かに思われた」部分の印象が強烈で、後半の部分はピンとこないまま、流してしまっていた。よく考えてみれば、「そう思われても仕方のない人間に自分がなってしまった」のは変である。皆実は平凡で真面目な女の子であり、殺されても仕方のない人間ではない。自分だけが生き延びてしまったことに、そこまで罪悪感を持つのだろうか?

漫画ではその点がはっきり記されている。被爆数日後には、皆実は、死体を平気で踏みつけるようになっていた。地面は熱く、靴底が溶けてへばりついた。死体から下駄を盗んで履くようになっていた……。

わずか数行のモノローグで語られるだけである。しかし、この場面は、会社の帰り道に「靴が減るから」と靴を脱いで裸足で歩く場面ともリンクし、強烈に印象に残る。死体を踏みつけ、死体から物を盗んだ。自分が生きるために。そのことが彼女を苦しめていたのだ。映画ではなぜこのエピソードを省いてしまったのだろうか?

「桜の国」は、前半とバランスを取るなら一部構成の方がいいのかも知れない。しかし、七波の小学生時代と、勤め人時代と、ふたつの時代が描かれているため、それを同時並行に物語る映画では少々わかりにくかった。実は、彼女がなんで東子ちゃんと過ごした時代を忘れたいと思っているのか理解できていなかった。

些細なことだが、気になったこと。東子とラブホテルへ入った時、「こういうところよくくるの?」という質問が唐突だった。漫画では、東子がバスローブに着替えたらとか、ドライヤーを使えとか、詳しいからつい聞く。しかも、漫画では既に凪生と付き合っている(付き合っていた)ことを知っていたため、YESと答えられていらんことを想像してしまうというオチがついていた。

もっとも、映画ではここでプリンセス・プリンセスの「DIAMONDS」がかかり、七波と東子が合唱する。これは割とイカした演出だった。

漫画の「桜の国」で一番印象に残ったのは、東子が「今度は両親と来るわ 来れば両親もきっと広島が好きになると思うから」と呟く場面。自分だって吐いたのに、それでもそう考える東子。立派だ。

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(別ブログより転載/original : 2007-08-20)