鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

ユーモア時代劇の佳作「善人長屋」

西條奈加の本はこれまで「金春屋ゴメス」「異人村阿片奇譚 金春屋ゴメス」「烏金」「恋細工」「はむ・はたる」と読んできたが、一作ごとによくなっている印象である。本作も少し前に文庫本で出ていたため、買おうかどうしようか迷っていたのだが、図書館で見つけたので借りてきた(もう少し以前なら躊躇なく買っただろうが、今は狭い部屋に本があふれていて置き場所がなく、買わずに済ませる方向を模索中なのである)。

連作短編集。主人公お縫の父親が差配を務める千七長屋は、善人長屋という二つ名を持っていた。実はここの住人は裏の世界で名の通った悪人ばかりなのだが、だからこそ目をつけられることのないよう、表向きは善人の振りをして愛想よく暮らしているうちに、いつしかそう呼ばれるようになってしまったのだ。そこへ、裏家業を持たない加助が引っ越してきたことから騒動が始まる。

加助は、困った人を見ると手を貸さずにはいられない。自分ひとりではなんともならなくても、なにしろ長屋の住人の正体を知らず、善人ばかりと信じているから、皆で協力して力を合わせればなんとかなると思い、揉め事を引き込んでしまう。長屋の住人は、とにかく目立ちたくない、騒ぎに巻き込まれたくないと思っているから、加助の行為はいい迷惑なのだが……

というような話。ユーモア時代劇だが、一話ごとが軽いミステリー仕立てでもあり、楽しめる。

読んでいて感動したのは、GIDな人を扱った話。その人は、男子に生まれついたが心は女だった。現代にそういう性向の人が少なからずいるなら、江戸時代だっていただらろう。現代でも本人は周囲の無理解にさまざまな苦しみを味わっているかも知れないが、それでも存在が社会的に認められただけまだまし。江戸時代にそう生まれついてしまった人は、どういう人生を歩むことになるのか……。

こういう、今日的な問題を過去の視点で再構成するのは、時代劇のひとつの醍醐味である。時代劇の登場人物が現代の常識・モラルで行動し「いくさは厭でございます」などと語るのは逆なのだ。

上記の話、一面では悲惨な話なのだが、後味は悪くなかった。こういう暖かな話に仕上げられるのはこの作者の持ち味だろう。
(2014/12/14 記)