- ドイル、深町眞理子訳「シャーロック・ホームズの冒険」(創元推理文庫)
深町訳を購入し、読み始めてしまったため、そのまま読了。どれもよく知っているはずの話だが、改めて読み直すといろいろ気付くところがある。
独身の男性がただ女性と一緒に写っているだけの写真が、そんなにスキャンダルになるのか、というのが素朴な驚き。しかし、こんな騒ぎを起こせば、アイリーネ・アドラーならずとも「写真の件だな」と気付くし、そうしたら写真の隠し場所は変えるだろう。そこに自分のポートレートを置いておくあたりは彼女のスマートなところかも知れないが……
- 赤毛組合
週4ポンドというのがどのくらい魅力的な報酬なのかはわからないが、ただ百科事典の項目を紙(それも自分が用意したもの)に書き写すだけの「仕事」は、自分なら御免蒙る。せっかくここまで大仰な仕掛けを組んだのに、その点が手抜きだなあ、と思う。ウィルソン氏は何の疑問も感じなかったようだが……
- 花婿の正体
今なら婚約不履行になるところだろうが、当時は罰する法律がなかったのか。しかし被害に遭った娘の母親までグルだというのだから、相当に悪質である。メアリーは孤立無援の状況だが、ホームズは彼女に真相を伝えないつもりだろうか?「話したところで信じない」というのは詭弁である。ホームズが証拠を挙げて説明すれば信じざるを得ないだろう。また、本人が「何が起きたのか」をしっかりと理解する以外に、本事件の解決はないと思うのだが。犯人は改心するつもりがないようだし。
客を案内してくるのはボーイ。名前は不明。
- ボスコム谷の惨劇
本件でも、ホームズは謎を解き犯人にたどりつくが、結果を公表しない。ひとつは、警察にはヒントをあげたのに無視されたこと。ひとつには、犯人が重病で長くないこと。あとは、家族に与える影響などを考慮して、ということのようだが、賛成できない。いかなる理由があっても犯人が人を殺したのは事実であり、その原因もたどっていくと若き日に重ねた悪事にたどり着くわけで、あまり同情の余地はない。冤罪で捕まった青年は証拠不十分で釈放されたのだろうと思うが、真犯人がつかまらない限り、「証拠不十分で罪を免れた」だけで、疑惑自体はずっと残ることになる。それでは彼を救ったことにはならないのではないか。
- 五つのオレンジの種
ホームズの責任ではないとはいえ、これは失敗談のひとつとして数えてよいのではないか。
- くちびるのねじれた男
興味深いトリック。今となっては古典的だが。現代では夫の正体に妻が気づかないのは「嘘くさい」が、当時は今ほど会社員至上主義の時代ではないから、こういうこともあり得たのであろうか。
ところで、メアリーがワトスンを「ジェームス」と呼びかける有名なセリフは本作で登場するが、訳文では「夫」と訳してしまっている。ジュブナイル版であれば構わないが、一般向けの本でこれはいけない。やはり深町訳は限界か。
- 青い柘榴石
これもホームズは犯人を見逃す。高価な宝石を盗むというのは重罪で、安易に見逃していいものではないと思うのだが。ホームズいわく、犯人は反省しているから、見逃すことで魂を救うことになる、刑務所に送れば正真正銘の常習犯の出来上がりだ、という理屈なのだが、当時のイギリスの刑務所は厚生施設としての機能を全く失っていたということか? 持ち主にどうやって宝石を返したのだろう?
- まだらの紐
設定に多少無理があるなとは思うが、やはり見事なトリックだと思う。
「娘に財産があって、結婚するまでは親が管理するが、結婚したら本人の管理とする」という取り決めになっているため「娘が結婚すると自由になる財産が減る」ことから娘の結婚を阻止しようとする親、というのは「花婿の正体」に次いで二人目である。当時はそのような家が多かったのであろうか? そしてこの物語を公表できたということはヘレン・ストーナーは早世したということ。幸薄い人生であった。合掌。
- 技師の親指
親指が切り落とされたら、出血多量で半死半生となるのではないか。応急処置だけでこんなにペラペラしゃべったり、再び事件の家へ出向いていったり、元気過ぎでリアリティないなあ、と子供の時から思っていた。
相手がいろいろと秘密にしたがっているのは見え見えなのに、ヴィクター君はなんで秘密を暴くようなことをするかなあ。今後の人生を安樂に過ごすために、この点はおおいに反省してもらいたい。
- 独身の貴族
「花婿の正体」と対を成す作品。真相は全く異なるが。
セント・サイモン卿はいけ好かない奴、のように描かれているが、このように手ひどく振られて、それでも「いい人」ではいられないだろう。ハティー・ドーラン嬢にあまり反省の様子が見られないが、刑事上の罪はともかく、民事で言えば、莫大な慰謝料をサイモン卿に支払う必要があるはず。
- 緑柱石の宝冠
一番好きな作品。意外性という意味では一番。アーサー君がとても格好よく、その点でも得点高し。同時に、いろいろと疑問も多く感じる作品である。
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- ホールダー氏は銀行の金庫が信用できずに宝冠を家に持って帰ってくるが、自宅の箪笥の化粧箱の中がそれほどセキュアだと思ったのか。また、これほど貴重な宝冠を自宅に持ってきたことをその日のうちに家族にしゃべってしまうが、この口の軽さはどうしたことか。すべてはホールダー氏の軽率さが招いたことである。
- とりあえず宝石は取り戻したものの、貴重な国家財産に大きな傷がついた事実は曲げられず、たとえ修理したところで、宝冠自体の価値は大きく減ぜられただろう。「大きな国家的スキャンダルから救ってくれた」とホールダー氏はホームズに感謝するが、なにを能天気なことを言っているのだ? 依然として大問題だぞ、と思う。このあとどのような形で決着がついたのかは気になるところ。
- ホールダー氏がどんなに軽率でも、一番悪いのは盗んだ人間であることは間違いないところ。それを「遠からず報いを受ける」などと言ってほったらかしにするホームズの神経はよくわからない。もっとも、真相がヤードに伝わればあっという間にイギリス中に網が張られ、二人が捕まるのは時間の問題ではあろうし、それは自分の仕事ではないとホームズは思ったのかも知れないが。
- ぶなの木屋敷の怪
娘の資産を狙う父親第三弾。動機はともかく描写は不気味で、ホームズ物の中で印象に残る話としてはかなり上位に来るのではないか。
(2019/12/15 記)