鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

「激マン」2

自伝漫画の系譜

小説家は、ある程度作品が認められるようになると、必ずエッセイを依頼されるという。しかし漫画の場合は、ある時期までエッセイ漫画というものは存在しなかった。今でこそひとつのジャンルを築いているといえるが、それでも日常雑記が多く、自分の過去の作品を取り上げ、それはこういうつもりで描いたとか、その時編集とはこういうやりとりがあったというような、いわば自叙伝風のものは稀有である。

自分の知っている範囲で言うと、藤子不二雄の「まんが道」は別格的存在として、小林まことの「青春少年マガジン」くらいしか思いつかない。東村アキコの「かくかくしかじか」は高校時代からプロになるまでを描いたもので、少し視点が異なる。今だと「島本和彦アオイホノオがあるじゃないか」と思う人が多いかも知れないが、あれは(少なくとも当初は)自分の分身を狂言回しにしながら、漫画文化史を描いたものだと思う。いずれにしても、「アオイホノオ」は2007年から(連載中)、「青春少年マガジン」は2008年、「かくかくしかじか」は2011~2015年、「激マン」は2010年~2018年。この時期にそのような空気が流れたのかも知れない。

デビルマン」が抜群に面白いから、それにまつわる話も、断片的に紹介される元作品も、どれも面白い。この調子で、高橋留美子細野不二彦もこういう漫画を描いてくれないものか。

激マン

2巻では作者が漫画家を目指したきっかけの話と、「デビルマン」はギャグ漫画より疲れるから週刊4本は無理になり、「ハレンチ学園」を辞める経緯について描かれる。

デビルマン」が軍隊や戦争の暗喩だという説明もされる。こういう解釈は面白いが、作者だからなんでも言っていいということにはならない。いや、言うのは自由なんだけど、正しいということにはならないと思う。あくまで、そういう解釈もできる、ということだろう。また、さらりと「デーモンも元は人間」と言い「最初に飛鳥了が説明してますよ」などと言うが、人間が地球に誕生する前からデーモンは存在したというのがそもそもの発端だという設定を忘れたか。もっとも、子供の頃に初めて「デビルマン」を読んだ時に、合体するまえのデーモンの見た目は、驚くほど人間に似ているなあとは思ったが。

僕は、「デビルマン」は、人間は正義の大義名分がつくと、どこまでも残酷になれることを象徴しているんだと思う。たとえば最近の眞子さまへの長期にわたる執拗なバッシングなど、まさにこれに当たるんじゃないか。批判する人は、眞子さまが心配だから言っていると悪気がなく、心配していさえすれば何をしても許されると考えているのだろう。てめえらに人間の心はねえ、「デビルマン」を読んで反省しろ、とワタシは言いたくなるのである。

あと、人間は万物の霊長などと威張っているけれど、実はそんなに長くは続かず、別の生物に滅ぼされることはあり得るという警告でもあると思う。実際、そういうことはあるだろうなと思う。人間を滅ぼすのは、デーモンのような、強くて大きい生き物とは限らず、虫とか、微生物のようなものかも知れないけど。

戦争の暗喩は、案外辻褄が合っていて面白いと思ったが、まあ、優れた作品はいろいろな風に解釈できるということだろう。



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