- コージィ城倉「プレイボール2」12(再)
読み返して気付いた。
倉橋の先輩でもある川北の田淵は、卒業すると進学せず就職し、同時に川北の監督になった。どういう経緯でそうなったのか、倉橋が田淵に訊く場面。
「監督になったのはな……川北も監督がいないのが問題になっていた。それで学校側から頼まれたのさ。まあ現役を退いてすぐ監督になったのは、神奈川の方や土佐の方にも例があったんで、おれもいいかな――と」
この神奈川と土佐の例というのは、明訓高校の土井垣将と、土佐丸高校の犬飼小次郎のことだよなあ。こんなところでさりげなく出ていたとは思わなかった。
「プレイボール2」およびそれを引き継ぐ「キャプテン2」では、川北の田淵、城東の小倉、そして墨谷の谷口と、青年監督が続々と登場する。が、そもそも、高校生が引退したあとすぐ監督になる、という奇想天外なアイデアに先鞭をつけたのは「ドカベン」ではないだろうか。コージィ城倉はここで、青年監督のアイデアはドカベンからいただきました、と仁義を切っているのかな、と思う。