鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

珠玉の一品。「のぼうの城」

2008年度「ビッグコミックスピリッツ」掲載作品。単行本は2009年6月3日刊。

花咲アキラという漫画家は、同業者または漫画家を目指す人から、どのように見られているのであろうか。ご本人は自分の漫画家人生を、どのように振り返っているのだろうか。

美味しんぼ」という作品が空前の大ヒット、また30年以上にわたる異例の長期連載となり、単行本は1億3500万部を突破しているとか。下世話だが、単行本を一律500円とし、印税を5%として収入を計算してみると、ざっと34億円ほどになる。半分近く税金に取られているとしても、変な投資や投機に巻き込まれさえしなければ、一生お金の心配はしなくて済む額である。同作にて小学館漫画賞を受賞。漫画家としてこれ以上ないほど成功したわけであって、実にうらやましい、憧れの存在であるといえる。

しかし、実質的なデビュー作がヒット作になったため、花咲アキラの作品は「美味しんぼ」しかない。30数年漫画家をやって、世に出た作品が一作だけというのは、どのような気持ちであろうか。漫画家としてはいろいろな作品を描いてみたかったのではないだろうか。人気漫画の宿命で、作者の都合で勝手にやめられない。「ONE PIECE」の尾田栄一郎、「NARUTO」の岸本斉史、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の秋本治、「はじめの一歩」の森川ジョージなども同様だろうが、彼らと違い、「美味しんぼ」は雁屋哲の原作付きで、ともすれば「雁屋哲の作品」のように見られることもある。花咲の側に忸怩たる思いはないだろうか。

などと勝手に考えていたのだが、いろいろ調べてみたら、「美味しんぼ」以外に「のぼうの城」を描いていて、単行本が出ていることに気が付いた。さっそく購入して拝読。

美味しんぼ」で山岡と雄山が和解した(「ビッグコミックスピリッツ」2008年24号)あと、しばしの休載があり、2009年13号から連載が再開されている。その間に執筆したものと思われる。

改めて見ると、絵が実にしっかりしている。

美味しんぼ」を長く手掛けてあれほど多くの登場人物を描いてきたのだから、スターシステムを採用する手もあった(長親を山岡が、城代を大原社主が、長束を副部長が演じるといった具合に)。だがそうはせず、すべて新しいキャラクターを生み出した。にも拘わらず、長親、正木、柴崎、酒巻、三成、大谷吉継長束正家豊臣秀吉、かぞう、ちよ、ちどりなど、きちんと描き分けている上に、生き生きと動かしている。

実写映画に登場する人物を彷彿させる人もいて、イメージを寄せたのかと思ったが、実写映画より漫画の方が早い。映画の方がキャスティングや役作りに際して漫画を参考にしたのだろうか?(野村萬斎上地雄輔なんて、漫画そっくりでしょ)

話のまとめ方もうまい。原作未読だが、実写映画を見た印象からすれば、単行本一冊にまとめるのは尺が短く、下手をすると粗筋を追いかけただけになりかねないところだが、そうはなっていない。甲斐姫を泥で汚すことで土足の百姓を城に上げたり、ちどりが握り飯を兵に配ったりするシーンもきちんと描かれている。怒涛の水流が城を飲み込むシーンは、さすがに映画の迫力には負けるが、最後の和平交渉の駆け引きはなかなかのもの。兵糧の持ち出しにはあれほど熱心に食い下がったのに、甲斐姫を秀吉の側室に差し出すようにとの命に対してはあっさり呑み、甲斐姫が悔し涙にくれる場面も、印象に残る。

美味しんぼ」は2014年をもって休載状態にある。雁屋哲の年齢を考えれば再開はないだろう。今こそ花咲アキラは好きな作品を描けるタイミングだが、作品を発表している様子はない。率直なところ、「美味しんぼ」の最後の方はだいぶ画力も衰えていた。だからこそ、作者の最も脂の乗った時期に、「美味しんぼ」以外の作品を残せたのは本当によかったと思う。



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