タイムマシンもの、ということで、どうしたって荒唐無稽にならざるを得ないので、そして森本梢子だから随所にギャグが入るので、最初はそういうものと思って軽く読んでいたのだが、かなり真面目なラブストーリーだと感じ、膝を正して読むようになった。イヤ、漫画を読む時は既にドラマを見ていたから、それはわかってはいたのだが……
時空を超えた恋愛は、どう転んでも幸せな結末にはならない。いったい作者はどういう終わり方を考えているのだろうか、というのは当初から疑問だった。タイムマシンで過去と現在が自由に行き来できるならありかも知れないが、本作では行き来できるのは数回、これが最後といいながら2回も伸びたのはちょっとアレだが、その都度、これから先の人生を戦国で生きるか平成で生きるかという決意を促される。
生まれたばかりの赤子であればともかく、ある程度の年齢になった人間が、親兄弟や友人知人と今後一切会うことも連絡を取ることもできない環境でずっと生きていくことができるか、生存は可能だとしても、それが幸せなのか、と考えれば、生まれ育った時代に生きる以外に選択肢はないと思う。二人がともに生きるとなれば、どちらがどちらの時代に生きても、時代を変えた方は生涯我慢を強いられる、と。
本作がハッピーエンドだと思えるのは、唯と忠清が出会ってから結婚し本当に戦後の世で生きる決意を固めるまでに二年という時間が経っているところがミソである。この間、唯は戦国の世で奮闘努力し、忠清との関係を深めていっただけでなく、おふくろ様(吉乃)や三之助、孫四郎、また天野信茂……は割と当初から唯之助に目を懸けていたようだが、信近や小平太、さらに忠高の殿さまやお方様にもだんだんと気に入られるようになり、自分の戦国での居場所を築いて行ったことが大きい。
12巻で、相賀から忠清死亡の報が届いた時、城中では誰一人それを信じず、忠高以下、家臣がみな「唯之助がやったのじゃ」「唯之助にしてやられた相賀が、苦し紛れに病死などと」と騒ぐ様子は、当初とは全然違うことである。忠清と唯が戻った時に、唯を見て驚いた御月晴永に、天野信茂のじいが「唯之助はこの信茂の自慢の孫娘にて」とにらみつけるところがぐっとくる。ご正室なのにみんなが「唯之助」と呼び続けるところがいい。
もちろん二年の間に苛酷な体験をし、死体もたくさん見て、戦国時代がどういう時代かちゃんと理解した上での決意であるということもある。唯の父が「俺も一回行ってみたい」などと呑気な口を利いているのとは対照的である(こんな考えで行ったらあっという間に殺されそうだ)。
もうひとつ、忠清が二回、平成の世に来て、頭の回転の速い忠清がこの時代のことをそれなりに理解したであろうこと(うざい、などという言葉も覚えたし)、なにより唯の両親とともに暮らして、忠清の人柄を唯の両親が知り、それを認めたことも大きい。これだけの緻密な伏線の積み重ねがあって、唯が最終的に戦国で生きることを本人も決意し、忠清も、唯の家族もそれを認める、ということに説得力が生まれたわけである。
第一部の終わりまでを構想して本作を描き始めたと作者は述べているが、ここまで緻密に考えていたのだろうか。常人には計り知れないことであるが、これまで連作短編ばかり描いてきた森本梢子の初の長編がこれだけの作品であったことに、ささげる言葉はひとつしかない。超好き!!