鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

「激マン」6

3巻までは発売後にすぐ買ったのだが、当時はもうkindleへの移行を進めていたので、kindle版が出たら続きを買おうと思って買うのをやめた。待っているうちに10年が経ってしまった。デビルマン編は3巻までと思い込んでいたが、本稿を書くために読み返していたら全然終わっていなかったころに今さらながら気づき、つい先日4~6巻を購入した(紙の本で)。だから「激マン」の漫画自体を読むのは今回が初めてである。とても新鮮な気持ちで読み進めた。

デビルマン」はどんどん佳境に迫り、盛り上がっているが、それにシンクロして「激マン」も盛り上がっていく。

たびたび話題になる尺が足りない件、確かに当時、作品を読んでいて、意味がわからない箇所が多く、どういう意味なんだろう、なんで何も説明がないんだろうと不思議に思っていた。一方で、だからつまらない、ということはなく、とにかく引き込まれた。漫画作品にとって重要なのはそこで、すべてを明確に読者に説明しなければいけないということはない、と思う。わからないものはわからないままでもいいのだ。

デビルマン」全体を俯瞰すると、序章のあとでいきなり最終章に突入したアンバランスさを感じる。対シレーヌ編、対ジンメン編のあと、同じような対デーモンのドラマが、単行本にして1~2巻分くらいあるとよかったと思う。(そこを埋めるのが「新デビルマン」というわけか。)

ただ、最終章に入ってからは、書きかけたネームを、ページが足りないから没! と破り捨てるシーンがたびたびあるが、ここは削りに削ったことが功を奏したと思う。もし好きなだけページを使ってよいと言われたら、相当にくどい展開になっていたのではないか。これは後日の他の永井豪作品を見て思うことだ。

名声を得て、歳も取った永井豪に対し、ページを削れ、早く終わらせろというような編集はいなくなっていったのだろう。しばしばくどい、説明過多の作品を見る。

美樹ちゃんが殺されるシーン、裸になって身体が引き裂かれる。身体が引き裂かれるのは物理的にそうされたのではなく、心が引き裂かれたことの比喩表現だろうというのは感じていた(実際には切り刻まれたのだろうから)。だが、裸にされた理由はわからなかった。永井豪はすぐ女の子のおっぱいを描く、エッチな作家だなあぐらいに思っていた。凌辱されたことをイメージしていたとはね。小学生、中学生の自分にはわからなかった。今でも、そこは描かなくてよかったと思う。思いとどまったのは慧眼だった。

読み終わって、作者と一緒になって駆け抜けたような爽快感、あるいは脱力感に襲われた。本当にいい作品だった。



漫画・コミックランキング