鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

往年のみずみずしさがよみがえる「神々の消えた土地」

亡くなられたことで最近北杜夫の本が書店で目につくようになった(少し前まで、よほど大きな書店でないと「楡家の人びと」すら見かけなかった)。

あちこちで見た北杜夫の追悼文では「ユーモア文学」に焦点を当て称賛したものが多かったけど、僕は彼の魅力はその抒情性にあると思っている。瑞々しさ、という言葉が一番当て嵌まるのだが、自然と一体になっていくかのような感じ。だから中高生が夢中になるのではないか。僕など「幽霊」をいったい何度読み返したことか……。「どくとるマンボウの航海記」のようなユーモアも「夜と霧の隅で」「楡家の人びと」のような純文学も、この抒情性の上に成り立っているものと考える。

しかし、年齢による変化か、旬が過ぎたためか、病気や破産などの影響で文が荒れたためか……いつしか抒情性を全く感じなくなってしまった。自分の印象では「さびしい王様」(1969)あたりでもう変化の兆しが見え、「少年」(1970)は悪くなかったけれど「月と10セント」(1971)でおかしくなって、「木霊」(1975)はいいけど「悪魔のくる家」(1978)はなんじゃこれ、という感じで、この辺でだんだん終わっていった感じだ。

だから、昔の作品は何度でも繰り返し読むけど、それ以降の作品はまあいいや、と思っていた。

本作は、デビュー前の創作ノートを読み返していて、悪くない出来だと判断、64歳の時に完成させた作品だ。年齢を重ね、若い感性が戻りつつあるのか、ノートの内容に影響を受けているのか、若い頃の瑞々しさの片鱗が見える。それにしても北杜夫が恋愛小説を、しかもあからさまな性行為を描くとは思わなかった! この二人、ちゃんと避妊していたのか気になるところである。

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