鞄に二冊

少しでも空き時間ができると、本が読みたくなる。

「リングにかけろ」の不思議(その3)

リングにかけろ」は名作中の名作だと思っている。一方、いったいどうなっているのか疑問が消えないところもある。三番目の疑問は、志那虎一城の右腕だ。

志那虎は幼少の頃、父親の狂ったような特訓の犠牲になり、右腕が動かなくなってしまった。が、彼は左腕一本で両腕に勝る力を身につけた。その上、剣道の「見切り」をもとに身につけた防御は、相手にかすることさえ許さない、「神技」と言われるほどのものであった。

これは理に適っている。向き合っていきなり必殺技バーンでは、さすがに相手は倒れない(本作の後半では、そういう試合もあるが)。まずは小技で相手を痛めつけ、ダメージを重ねておいて、フィニッシュを決めるわけである。左腕しか使えないとなると、そうした技を駆使して痛めつけることができない。一方、神技的ディフェンスで相手の技を受け流していると、相手は強烈なパンチを何発も受けたようなダメージを受ける。疲れ切ったところにズバンとローリングサンダーを決めるからこそ、必殺技になるわけである。これは「あしたのジョー」の少年院時代、非力な青山が取ったこんにゃく戦法に似ている。理に適った戦法である。

これは、相手が攻めて来てこその戦法である。相手に見抜かれるとつらい。相手は無駄に攻め込まず、受けに回れば済むからである。左手一本で逃げる相手を追い詰めるのは難しい。

そこで、右手がどのくらい使えるのかがカギになる。

物語の中盤から、右手は全く動かないことが明らかになった。世界大会の決勝ギリシア戦では、動かない右腕を無理に動かしてフェイントをかけ、勝利をもぎとった。

そもそも、手首(より肘寄り)を日本刀でざっくり切られたのが原因である。筋肉は元通り付いたが、恐らく神経が何本かやられてしまい、細かい動きができなくなり、また握力も弱くなってしまったのだろう。拳をぎゅっと握り込まなければパンチ力はつかない。しかし肘から上は何ともないのだから、全く動かないというのはおかしいのではないかと思う。一見普通に動くけれど、字が書けないとか、強いパンチが打てないとかいうことではないだろうか。

その上、日米決戦では催眠術にかかった河井の目を覚まさせるため、影道との決戦では河井にくくりつけられた鈴を切り離すため、日本刀を右手一本で振るっている。握力がなければ重たい日本刀を振るったらすっぽ抜けてしまうし、手許が少しでも狂えば河井の右手が飛ばされてしまう。が、躊躇することなく、正確に斬りつけていた。

これができるならば、パンチを打つこともできるはずだが……と思うのである。パンチは打てないが、剣は振るえるのか? だとしたら、やはり志那虎のダンナはボクシングではなく剣術をするべきであろう。


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